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もう、1ヶ月ほども前になるけれど
ひょんなことからチケットを入手し、久しぶりにコンサートを聴いた。
指揮は大好きな尾高忠明さん。
彼は20代の頃に、NHKの「音楽の広場」という番組で頻繁に東フィルを
指揮していた。
若いけれど気負ったところも驕りもなく、自然体で、時折見せるハニカミが
とてもチャーミングで、好きな指揮者だった。
育ちの良さとはこういうことか、という上品な曲に仕上げる人だった。
今回、初めて尾高さんの指揮を生で聞いたが、彼が若い時から持っていた
上品さと自然体はそのままに、さらに円熟味を増していた。
彼の手にかかるとドボルザークですらも明るく楽しいものになる。
コンサートの最後の方では尾高さんの「指揮をして楽しいんだ~♪」という
気持ちがこちらにまで伝わってきて、クライマックスに向かうに連れて
私も自然と笑顔になって行くのがわかった。
こんな経験は初めて。なんと素敵な経験をしたのだろう。
今は尾高忠明を聞くべきだ!とこの時決心した。
堀米ゆず子さんのヴァイオリンは「グァルネリ」
ストラディバリでないのは音を聴いた時にわかったが、悲しいかな
素人の私は、バイオリンの名器と言えばストラディバリしか知らず
グァルネリの何たるか、も知らなかった。
ストラディバリが女性的に艶やかな音を出すとしたら、
グァルネリは男性的な力強い音。 堀米ゆず子さんには
グァルネリがとても合う。
堀米さんは世界的のあちこちのコンサートに忙しく出演して
こんなにも有名なのに、「サイトウキネン」のオーケストラに
出演する時だけは、一番後ろの方で遠慮がちに弾いているので
それを見るとちょっと笑える。
踏まれたら怒るくせに。
ゴーヤチャンプルーを作ったついでに
最近お気に入りの沖縄の食べ物。
国際通りにある「琉球珈琲館」の
コーヒー豆に焼き米、黒豆、炒り大豆、ウコンなどをブレンドした
「ぶくぶくコーヒー」
あっさりめのミルクコーヒー、という感じのもので
砂糖を入れなくても、ほんのり甘い。
沖縄4度め、にして初めて飲むチャンスが到来したもの。
運ばれてきたばかりの時は、ぶくぶくした泡がソフトクリームのように
盛り上がっていたが、こぼれそうだったため、あわてて、鼻にまで
泡を付けながら2口ほど飲んだ。
泡に迫力がないのはそのせい。
国頭村の道の駅「ゆいゆい国頭」の(夏の)名物
沖縄のぜんざいは「氷ぜんざい」
ほとんど甘くない。100円足してコンデンスミルクをトッピングすれば
絶対に美味しかったはず。
こんな月並みな表現をしたくないけど、まあ、ほんとうにヘルシー。
沖縄ならどこにでも売っている、原料が単純明快なもの。
欠点は食べだしたら止まらないってこと。
沖縄からのお土産はいつも決まっている。
恩納村の「御菓子御殿」で買う紅いものお菓子
左から 「紅包」 「紅いもタルト」 「紅月夜」
土産物のお菓子と侮れない、きちんと美味しい味がする。
この「紅包」
「この字、どっかで見たことがあると思った。コレを中国では紅包みっていうんだよ」と
中国に留学していた友達が教えてくれた。
この中国の紅いポチ袋、これを「紅包」と言うんだそうな。
一方、お菓子の紅包は、四角の黄色い芋のペーストを
薄い紅芋ペーストで包んである。
紅芋タルトの中味だけ、そ、スィートポテト。
私は芋のお菓子の中では「紅包」が一番好き。
60年代の学生運動を背景として語られた「されどわれらが日々ー」
これを読んだ高校生の時は、生真面目で下手な生き方しかできない
登場人物たちに憧れ、何度も読み返し、好きな言葉を抜書きしたり
していたが、今になって読み返すと時代があまりにも違うので
あまりにもじれったくなってしまうのは私だけではないだろう。
だが、今でも心に残る言葉はある。
あなた方の頃はどうっだったのかと。その時私たちは答えるだろう。
私たちの頃にも同じような困難があった。もちろん時代が違うから
違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。
そして私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも
時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人が
いたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、
そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは
許されていると考えるとしたら、そこまで老いていった私たちの生にも
それなりの意味があったと言えるのかもしれない。
そして、「されどわれらが・・・」から何年も後に、寡作な柴田翔氏が
その続編のように書いた 「われら戦友たち」
この時、作家の目はすでに60年代を懐かしむ気持ちになっている。
すでに過ぎ去った時代を懐かしむ、と同時に自虐しているようにも
思えるが、自分自身への鎮魂歌の意味も込めたこの作品を
柴田翔氏はどうしても上梓しなければならなかったのだろう。
彼の言葉を借りて言うならば、この本はそういう運命にあったのだろう。
この後(前からか)、柴田翔は東大文学部の教授になり
文学部長にもなるが、それ以後、ほとんど作家としての活動をしていない。
もったいない、なんてもんじゃない。
どうしてもダブってしまうのは、東大出身の芥川賞作家で、作品を4つほど
書いただけで、後は隠遁生活をしている庄司薫氏
引き際があっさり、きっぱりしている、というか・・・
あ、でも今の言葉で言うとしたら「ヘタレ」かな(笑)
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女主人になることを夢見つつ
4匹の猫と暮らす。
(いつの間にか5匹に)