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なにはともあれ、週末。

ほっとした雰囲気が漂う穏やかな夜
好きな人と一緒にごはんを食べる、ということは
なんとしあわせなことでしょう。

そして、美味しいごはんを食べているあいだは

難しい話をしないで
肩の力を抜いて
にっこり笑いながら

上機嫌に過ごしましょう。



週末の恋人たちへ、こちらの詩を。

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明日は未だ愛さなかった人たちをしても愛を知らしめよ
愛したものも明日は愛せよ

・・・

明日は恋なきものに恋あれ
明日は恋あるものにも恋あれ


                       西脇順三郎 詩集「あむばるわりあ」より






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もう、1ヶ月ほども前になるけれど

ひょんなことからチケットを入手し、久しぶりにコンサートを聴いた。


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指揮は大好きな尾高忠明さん。

彼は20代の頃に、NHKの「音楽の広場」という番組で頻繁に東フィルを
指揮していた。

若いけれど気負ったところも驕りもなく、自然体で、時折見せるハニカミが
とてもチャーミングで、好きな指揮者だった。

育ちの良さとはこういうことか、という上品な曲に仕上げる人だった。


今回、初めて尾高さんの指揮を生で聞いたが、彼が若い時から持っていた
上品さと自然体はそのままに、さらに円熟味を増していた。

彼の手にかかるとドボルザークですらも明るく楽しいものになる。
コンサートの最後の方では尾高さんの「指揮をして楽しいんだ~♪」という
気持ちがこちらにまで伝わってきて、クライマックスに向かうに連れて
私も自然と笑顔になって行くのがわかった。
こんな経験は初めて。なんと素敵な経験をしたのだろう。
今は尾高忠明を聞くべきだ!とこの時決心した。

堀米ゆず子さんのヴァイオリンは「グァルネリ
ストラディバリでないのは音を聴いた時にわかったが、悲しいかな
素人の私は、バイオリンの名器と言えばストラディバリしか知らず
グァルネリの何たるか、も知らなかった。 
ストラディバリが女性的に艶やかな音を出すとしたら、
グァルネリは男性的な力強い音。 堀米ゆず子さんには
グァルネリがとても合う。

堀米さんは世界的のあちこちのコンサートに忙しく出演して
こんなにも有名なのに、「サイトウキネン」のオーケストラに
出演する時だけは、一番後ろの方で遠慮がちに弾いているので
それを見るとちょっと笑える。



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踏まれたら怒るくせに。


ゴーヤチャンプルーを作ったついでに

最近お気に入りの沖縄の食べ物。



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国際通りにある「琉球珈琲館」の

コーヒー豆に焼き米、黒豆、炒り大豆、ウコンなどをブレンドした

ぶくぶくコーヒー

あっさりめのミルクコーヒー、という感じのもので
砂糖を入れなくても、ほんのり甘い。

沖縄4度め、にして初めて飲むチャンスが到来したもの。

運ばれてきたばかりの時は、ぶくぶくした泡がソフトクリームのように
盛り上がっていたが、こぼれそうだったため、あわてて、鼻にまで
泡を付けながら2口ほど飲んだ。
泡に迫力がないのはそのせい。



国頭村の道の駅「ゆいゆい国頭」の(夏の)名物

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沖縄のぜんざいは「氷ぜんざい

ほとんど甘くない。100円足してコンデンスミルクをトッピングすれば
絶対に美味しかったはず。

こんな月並みな表現をしたくないけど、まあ、ほんとうにヘルシー。




沖縄ならどこにでも売っている、原料が単純明快なもの。

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欠点は食べだしたら止まらないってこと。



沖縄からのお土産はいつも決まっている。

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恩納村の「御菓子御殿」で買う紅いものお菓子

左から 「紅包」 「紅いもタルト」 「紅月夜」

土産物のお菓子と侮れない、きちんと美味しい味がする。



この「紅包」

「この字、どっかで見たことがあると思った。コレを中国では紅包みっていうんだよ」と

中国に留学していた友達が教えてくれた。

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この中国の紅いポチ袋、これを「紅包」と言うんだそうな。

一方、お菓子の紅包は、四角の黄色い芋のペーストを
薄い紅芋ペーストで包んである。

紅芋タルトの中味だけ、そ、スィートポテト。

私は芋のお菓子の中では「紅包」が一番好き。




めっきり寒くなったので、私の部屋にも暖房を入れる。

熱効率を良くするために、ドアをぱっちりと閉める、と

猫は急に何かを思い出したように、出してだして、と

無言の要求をするのだね。




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なんか・・・違う。

ウチの猫に限って、こんな殊勝なもの言いはしない。




じゃ、もいっかい、やり直し。


はい、どーぞ。


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そうそう、これがウチの猫だわ。


それにしても、「お手洗い」って・・・

猫が蛇口の下で手を洗っているのを想像したりして。



いちご白書」は70年代のアメリカの学生運動を描いたものだが

60年代の学生運動を背景として語られた「されどわれらが日々ー」
 
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これを読んだ高校生の時は、生真面目で下手な生き方しかできない
登場人物たちに憧れ、何度も読み返し、好きな言葉を抜書きしたり
していたが、今になって読み返すと時代があまりにも違うので
あまりにもじれったくなってしまうのは私だけではないだろう。
 
だが、今でも心に残る言葉はある。


 
やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかもしれない
あなた方の頃はどうっだったのかと。その時私たちは答えるだろう。
私たちの頃にも同じような困難があった。もちろん時代が違うから
違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。
そして私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも
時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人が
いたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か一人が、
そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは
許されていると考えるとしたら、そこまで老いていった私たちの生にも
それなりの意味があったと言えるのかもしれない。

 

そして、「されどわれらが・・・」から何年も後に、寡作な柴田翔氏が
その続編のように
書いた 「われら戦友たち」
 
 
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この時、作家の目はすでに60年代を懐かしむ気持ちになっている。
すでに過ぎ去った時代を懐かしむ、と同時に自虐しているようにも
思えるが自分自身への鎮魂歌の意味も込めたこの作品を
柴田翔氏は
どうしても上梓しなければならなかったのだろう。
彼の言葉を借りて言うならば、この本はそういう運命にあったのだろう。
この後(前からか)、柴田翔は東大文学部の教授になり
文学部長にもなるが
それ以後、ほとんど作家としての活動をしていない。


もったいない、なんてもんじゃない。


どうしてもダブってしまうのは、東大出身の芥川賞作家で、作品を4つほど
書いただけで、後は隠遁生活をしている庄司薫氏

引き際があっさり、きっぱりしている、というか・・・

あ、でも今の言葉で言うとしたら「ヘタレ」かな(笑)
 
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