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記録の意味で、身の回りのことを記しておきたい。
3月12日
朝7時 会社から(泊まった)ダメもとでふぐすまの実家に
電話をしてみた。
なんと、幸いなことに繋がって父親が出た。
使ってない部屋の箪笥と毛糸の商品棚が倒れたが
母親と二人で何とか元に戻した。
電気もガスも水道も止まってないので、地震当夜は
普通の生活をして、11時には就寝した。
途中で従弟が様子を見に来てくれたが、普通に生活を
しているのを見てびっくりして帰った。
ただ、今日になって断水になった。なんとかなるだろう。
状況を広島(弟のところ)に連絡しておいて欲しい。
私の楽天的な性格は半分父親譲りだと思っているが
父親の明るい声を聞いていると、しみじみ認識する。
とにかく、被害はほとんど無いのだ。
暗くなる必要は何もない。
私は安心して動き始めた電車に乗って家に帰った。
家に着いて、自分で握ったおにぎりやらドーナツを
食べていたら、今度は父親から電話が入った。
ようやく福島からの電話も時々繋がるようになった。
ただ、断水で水が無い。家の前の〇ニマルにも
もちろん水は無い。
しょうがないので、自販機の水を2本だけ買ったが
買い方がわからず(オイ!)傍の人に聞いて買った。
それ以外は大丈夫だ。
とりあえず、電話も繋がることがわかった。またね。
その後も、私は買い物などをしながら、時々ふぐすまに電話を
してみたが、なかなか通じない。
それよりも、群集心理なのだろうか、スーパー、ドラッグストアの
棚から水、米、パン、トイレットペーパーが消えていた。
とりあえず、私も米とトイレットペーパー、ペットボトルの
飲み物を買って家に戻った。
夕食はこれからどうなるか、まったく予想がつかないので
カレーを作る(作ってもらった)
それも芋煮会で使うような鍋に一杯(笑)
私は4日くらいなら同じものを食べても平気だ。
あきらめが早いことを除けば(いや、それが一番ダメでしょう)
結構サバイバルな性格かもしれない。
夕食の前に万が一のことを考えて風呂に入り
即座に風呂を洗い、水をいっぱいに溜めておくことにした。
昨日、日曜日は朝一番で教会のミサに行く。
祈り、はどこでもできるのは認識している。
それでも、祈りの場で祈らずにはいられなかったのだ。
午前中に福島から電話が入る。
断水で不自由になってきたが、なんとか工夫してやっている。
皿も洗えないが、お母さんがウェットティッシュで拭いて
使っている。
昨日父親の携帯に電話しても
「電池が入ってないか、電波の届かない場所に・・・」という
アナウンスに頭に来ていた私は
「あのさ、お父さん、携帯に電源入れてよ!
全然つながらないじゃない!」と怒って言った。
「そうか? 電気がもったいないと思って電源を
入れてないんだ。」
論外だ。 この人は携帯を持つ資格がない。
何のための携帯なのだろう?
さらに電話は母が出る。
断水で困った、という後に
「同窓会の会費、きちんと納めなさい! 同窓会の役員会に行っても
会費の納入状況が悪くてお茶も出ないんだから!」と言う。
こんなことを言う余裕があるのだ。
・・・私の性格の半分はこの人から受け継いているのだ。
とりあえず安心したが、給水所に老人が並ぶのを考えると
頼れる人に頼りたい。
ふぐすまの従弟の奥さんにメールをしてお願いする。
「道路が開通したら、不自由しているものがあれば、こちらから
なんとか調達して送ります。
実家では現在水が無くて困っています。助けてください。
お願いします。」
メールをした後は一日スーパーとドラッグストア巡りだ。
なんだ、私も充分にパニックじゃん。
猫のフードとトイレの砂を大量に買い込む。
万が一でも、これで猫は1ヶ月はなんとか食いつなげるだろう。
夕方、父親から携帯に電話が入った。
従弟の奥さんが水を持ってきてくれた、ということだ。
が、余計なことを話しているうちに切れてしまう。
それでも、水が供給されたのは安心した。
さらに、今日の早朝、こちらからふぐすまにかけた電話が
繋がった。
水はさらに、教会の信者仲間が届けてくれたとのこと。
ありがたい。
現在、最寄の駅を通る私鉄は 経堂⇔新宿間しか運転していない。
たぶん終日動かないだろう。
そういうワケで、今、この記事をアップしている。
そして予定では9時20分から停電の予定だ。
とっとと記事をアップしなければいけない。
↑
停電はなくなりました。
とっとと記事をアップしなければいけない。
↑
停電はなくなりました。
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コメントをどうぞ。
コメントありがとうございます。
◇うっしーさん
当たり前のことが実は当たり前ではなかった。
自分ひとりで生きているように思えても
実はひとりでは何もできない、ということを
痛切に感じた一週間でした。
被災地も春は同じように巡ってきます。
少しずつでも暖かくなる、というのが救いですね。
◇mi-hoさん
mi-hoさんのご実家が塩釜なので、私も心配していました。
とりあえずご無事でよかったですね。
夜の12時半に会社を出たんですか?!
ああ、その時は会議室で寝ていました。
今度そういう事態になったら声をかけてください。
一緒に帰りましょう。
当たり前のことが実は当たり前ではなかった。
自分ひとりで生きているように思えても
実はひとりでは何もできない、ということを
痛切に感じた一週間でした。
被災地も春は同じように巡ってきます。
少しずつでも暖かくなる、というのが救いですね。
◇mi-hoさん
mi-hoさんのご実家が塩釜なので、私も心配していました。
とりあえずご無事でよかったですね。
夜の12時半に会社を出たんですか?!
ああ、その時は会議室で寝ていました。
今度そういう事態になったら声をかけてください。
一緒に帰りましょう。
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HN:
椿
性別:
女性
趣味:
読書など
自己紹介:
老後はミモザ館(やかた)の
女主人になることを夢見つつ
4匹の猫と暮らす。
(いつの間にか5匹に)
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