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かつて 「書を捨てよ 街に出よう」
と言ったのは寺山修司だった。

このタイトルには、そういった哲学的な考えは
まったくない。
(あるワケがない)

旅のお供に最適ではないか、と思う本を見つけた。


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この二人が鎌倉、日光、東北を旅しながら
つらつらと話したことをまとめた本だ。


この洒落た大人2人の話したことだから
それはもう、楽しさがみっちみちの
「ヤダ、この人たちって本当に仲良しなのね」
という内容だ。
コレを読んだら、きっと考えが柔軟になるだろう。


そしてこの本の特筆すべきこと
それは、写真がすばらしいことだ。
プロのカメラマンではなく、
糸井さんの事務所のADの方が撮ったものだが
デザイナーって、何をさせてもセンスがあるんだわあ、と
感心するような写真なのだ。



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さあ、今年の夏は

この本を持って 旅に出よう!

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毎年、この時季になると、ふと口から出るAmerican Poetがある。


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今日のタイトルの「悲しみのようにひそやかに」

エミリー・ディッキンソンという女流詩人の詩だ。




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この詩を初めて読んだのは高校生の時か。

とても美しくて好きな詩だったのだが、いつの間にか覚えているのは
最初と最後だけになっていた。
だが、ネットというのはありがたいもので、かすかに覚えている
詩の断片から、この詩を捜しだすことができた。




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「悲しみのようにひそやかに」

悲しみのようにひそやかに
夏は過ぎ去った
ついに あまりにもひそやかで
裏切りとも思えないほどに



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蒸留された静けさ
もう とうにはじまった黄昏のように
または みずから引きこもって
午後を過ごしている自然



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夕暮れの訪れは速くなり
朝の耀きはいつもと違う
ねんごろでしかも
 胸の痛むような優美さ
立ち去ろうとする客人のように



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このようにして翼もなく
船に乗ることもなく
私たちの夏は軽やかに逃れ去った
美しきものの中に


                         Emily Dickinson (1830-1886)





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Our Summer made her light escape
Into the beautiful.

最後のフレーズが特に好きだ。



そして今年の夏は、この詩の通り
ひそやかに逃れさってしまった、という感がする。




猫飼い、あるいは猫好きな人はとうにご存知だと思うが

とうとう、書籍になった
キミとボク
(Flash版は右上の ちかみち をクリック)

スキーの帰りに、諏訪の本屋の「犬猫コーナー」で見つけた。

WebのFlashは、いつ消えてしまうかわからない、きちんと形にして
手元においておきたい、という人も多い。
以前に出版された「絵本」とは違う形で世に出たこの本は
きっと、また新しい読者を得ることだろう。

何度もFlash版を見ていても、また本になったものを見ると
目から水が大量に出る。

あまりにも簡単な筋なので、それはFlashを見ていただくとして
このストーリーが悲しいばかりではなく、爽やかさを心に残すのは

「 ま た   あ る き だ そ う 」

という最後のフレーズに未来への希望が感じられるからに違いない。



そしてもう1冊見つけたのが 余命4ヶ月のダビデ

表紙の猫があまりにも美しいので1度見てみたかった。
内容は、もちろん題名通りのもの。

ダビデの毛色と顔のなんと綺麗なこと。




銀王号は私にとって、チャーだ。 そしてダビデも摩耶でありユメだ。

そして、本屋でページを繰りながら目とハナををハンカチで拭いている。
何度も見ているのに、何度も同じように目から大量に水が出る。

猫飼い、猫好きはもちろん、動物好きならこの感覚をわかってもらえると思う。



三原の住人は読まない方がいい。きっと切なくなるから。



アンタたちは何もしてくていいから、長生きだけはしなさいね。

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12月24日 待降節最終日の窓を開ける。


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こう来たか。 飼い葉桶の幼子だと思ってた。




And suddenly there was with the angel a multitude of the heavenly host,
praising God and saying, "Glory to God in the highest heaven,
and on earth peace among those whom he favors!"
 Lk. 2:13

すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと、高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」





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O.ヘンリーの「賢者の贈り物」

 

若い、貧しい夫婦が、相手の最高のものをより耀かせるために
自分の
最高の者を売って、それを手に入れる。だが、その贈り物で
「より耀くはずのもの」は既に
どちらも持っていなかった、という短編。


だが、作者のO.ヘンリーは最後にこう結んでいる。

 

「贈り物をするどんな人たちよりも、この二人こそ最も賢い人たちであったのだと

現代の賢明な人たちに向かって言っておきたい」

 

この世で一番素晴らしい贈り物は「自分の持っている最高のものを与えること」

それこそが、作者の考えるクリスマスプレゼントの本質なのだ。

 

贈り物を渡しあった後のこの夫婦のクリスマスディナーも、ポーク(たぶん)チョップと

安いワインなのだろうが、泣き笑いをしながらの楽しいディナーになることは

間違いない。


さて、みなさんは今夜と明日、誰とどう過ごされるのでしょうか。



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うつむきがちにチャーが歌っているのは ああベツレヘムよ




クラシックMIDIラインムジーク

12月19日 待降節20日目の窓を開ける。


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って、まだ19日なんだけど
こんなに早く登場しちゃって、いいの?






チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」は少年少女向けの物語として
この時季になると「クリスマス・ストーリー」として愛読されてきた。


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少年少女向け、と言いながら大人が読んでも充分に楽しい。
説教臭いとか、あれこれの批評はあるだろうが、クリスマス・イブに過去、現在
未来と体験した吝嗇家のスクルージ爺さんが、クリスマスの朝、自分がまだ
生きていて、人生をやり直せる可能性を知り、善人になっていく、という筋は
欧米のクリスマスの意味、というものを私たちに教えてくれる。そして新しい出発
ということは、この世に生を受けた幼子に重なり、クリスマスにふさわしい。

 
私がこの物語を初めて読んだのは小学生の時だが、肝心の内容よりも
心を入れ替えたスクルージ爺さんが、それまで頑なに断っていた甥の
クリスマスディナーの招待を思い出し、おずおず訪ねて行く。普通だったら
門前払いを喰らわされても文句は言えないが、甥夫婦は心からスクルージを
歓迎し、心のこもったご馳走と会話でもてなす、という場面が心に残っている。
(昔から食事の場面が好きだったらしい。)

 
そして、その甥が、クリスマス・イブの日にスクルージをクリスマス・ディナーに
誘う時に言ったこと、これが、ディケンズのクリスマスに対する思いだろう。
 
 
「とにかくクリスマスはめでたいと思うんですよ。親切な気持ちになって
 人を赦してやり、情け深くなる楽しい時節ですよ。男も女もみんな
 隔てなく心を打明けあって、自分らより目下の者たちを見ても、お互い
 みんなが同じ墓場への旅の道づれだと思って、行先のちがう赤の他人
 だとは思わないなんて時は、1年の長い暦をめくって行く間にまったく
 クリスマスの時だけだと思いますよ。」
(「クリスマス・カロル」村岡花子訳/新潮文庫)

 
ディケンズの言う「クリスマスの祝い方」とは豊かな者が貧しい者を助ける、
持てる者が持たざる者に、愛にしろ財産にしろ与えること、なのだと思う。


そして、その「クリスマスの讃歌」こそが「クリスマス・キャロル」なのだ。
 

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