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4月1日から3日間、福島に帰省した。

広島から来る弟一家とは駅で合流。
少し早めに到着して、駅前のTホテルで優雅にランチ、と
計画していた。
弟夫婦が結婚披露宴をしたホテルだ。




ホテルのメインダイニングからは
吾妻小富士の中腹にウサギの雪形が見える。
県北出身者の私には、涙が出るほど懐かしい風景だ。

ただ今年は1度溶けて小さくなったウサギの上に
また雪が積り、形はあまりきれいではないらしい。

ランチはメインを4種類から選べる。
肉が鶏のソテー、マスタードソースだったので
魚をチョイス。




サラダを兼ねた前菜。

エビ、豚肉のリエットにターメリックソース
レンコンのピックルス。




豆のスープ。

見かけは地味だけど、なんだか美味しかったよ。
もう1杯もらってもいいくらい。




ああ、このスープにパンが欲しい、と
思ったところに、温められたパンが
テーブルに運ばれてきた。
このあと、おかわりもいただきました。




で、魚とホタテに魚介のソースをかけたもの。

わりと、普通(笑)
たぶん、塩味が無難に薄かったのかもしれない。

そして、付け合せの焼いたエシャロットは
固くて先のほんの少しを食べただけだった。

メインだけに、少し惜しい。
今度は肉にしてみよう。



 

(全然期待していなかった)デザートは
苺のクレープミルフィーユ。
生地にも苺が入っているらしくピンク色。
この時期にぴったりのデザートに大満足。


 

時間に余裕があったので
コーヒーは2杯と少し。

このランチは税、サービス込で1550円
お得としか言いようがない。
また行こう、ここ。




駅に戻ってこれを見ると
北国の福島でも今年の春が早かったのがわかる。


駅ビルの中を見て時間を潰す。



あ、来た来た!

さあ、これから爺婆を喜ばせに行こう!
 
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桜の咲くのがびっくりするほど早かった今年。

多摩川の桜も他と足並みを揃えて早かった。

写真は3月31日のもの。







この桜、満開そのもの。
少しの風で花びらがハラハラと散ってくる。




この機会を逃しては後悔する、と思ったので
いきなり見頃になった26日に計画をたて
31日の土曜日に花見をすることにした。


 

幸いなことに、この日は朝から晴天、気温もどんどん上昇していく。





枝ぶりのよい木を選んで、その下に弁当を広げる。
一人で頑張らず、昨年から「持ち寄り」にしてもらった。



 

ハワイのABCで買ったゴザの上にテーブルクロス代わりの布をしき
持ち寄ったご馳走を広げる。
今年は、いなり寿司、たけのこご飯、小松菜の胡麻和え、玉子焼き
守口漬、唐揚げ2種類、白身魚の照り焼き、ナスの揚げ浸し
サラダ2種類、大根と人参、蒟蒻の煮物、パイナップル。






今年も思った通りの良い場所を確保できた。





お弁当を食べる私の目に入ってくる桜はこれだ。





人間だけでなく、柴犬もおやつをもらいながら
花見(見てない)をする。


 

昨年、一昨年だったら、まだ咲き始めの頃だ。

毎年、桜が咲くと雨風の強い日があり
「花に嵐のたとえもあるぞ・・・」って
ほんとなんだよなー、と気を揉んでいたのだが
今年はまったくその心配をせずにすんだ。

それは本当に良かった。

デザートは私の家で団子、と決めていた。
花見には団子がつきものだが
あまりの暑さに、お茶ではなくアイスティを用意したほどだった。


残りの桜を数える歳になってしまったが
今年の桜は、軽やかに、陽気に、屈託なく
賑やかに来て、未練なく行ってしまった、という感がある。

これはこれで、微笑ましくて良いよね。
今シーズン最後のスキーの時に泊まった
諏訪湖の老舗ホテルの夕食。



昨年も泊まったが、このあたりでは格式の高いホテル
という位置づけ(だと思う)

施設は古いがあちこちに立派な生花が活けてあり
掃除も行き届いている。
私は露店風呂も好きだし、マッサージ椅子があるのも
スキーの後はありがたい。


そして、これは記録のための記事なので
料理の感想はさくっと。




自家製オレンジレモン酒

柑橘系が大好きだし、これは好き。



 

白身魚の南蛮漬










茶碗蒸し。

だしの具合か、具が良いものを使っているのか
ずいぶん美味しかった。





お造り。

薄切りの大根の上にのせてある。
お給仕の姐さんがぜひ大根も食べて、というので
食べてみたら、甘くて美味しかった。


 


大鱒ときのこをさっぱりとおろしで。



 

信州ポークの桜蒸し

この丸い蓋の上からコップ1杯の水をかける。
水は皿の縁の穴から下の器に落ち
発熱して蒸し器状態になる。




蓋を取ると
塩漬けの桜の葉の香りが移ったきのこ、キャベツ
信州ポーク。
添えてあるタレにつけていただきます。





エビと野菜の天ぷら。





お腹がいっぱいになってきて
ふと天井を見上げると、まあ素敵!なシャンデリア。





しじみご飯(諏訪湖でシジミがとれるので、このあたりではよく出る)

さすがにお腹いっぱいでした。





デザートの桜プリンと果物の皿は
四角の塗りの縁高に入って出てきた。

すっごい参考になった。
盛り付けとはこういうことだ、と
勉強になった。

小さい黄色のキューブはレモンチョコレート
力を込めて言われたので、板さんが頑張って作ったのだろう。

サイコロくらいの大きさのチョコは
甘さはほとんど感じず、レモンの香りと
酸っぱさが際立った美味しいチョコだった。

2018年3月11日

東京は風もなく暖かだ。


 
 
  
2011年3月11日の震災の後
私はしばらくの間、お昼休みになると
同僚を相手に福島の実家の話をして
その度にめそめそと泣いていた。

福島に住む両親のことが心配だった。
震災の後の混乱、断水、食べ物の不足。
自販機の水ですら買い方を知らない父。
そして、福島に降った放射能。

交通手段は完全に途絶え
長距離バスで両親を呼び寄せようか、と
考えたこともあった。
しかし、その長距離バスでさえ
郡山からしか出ていないのだった。
 
自分が物資を持って福島に行きたくても
できない、というもどかしさ。

私の住む東京では少しずつ日常を取り戻していくのに
 日に日に不安な環境になる(と当時は思った)故郷。

先のことがまったく考えられないこと
不自由な生活を強いられている高齢の両親
なんの支障もなく生活している無力な自分。
知識がないために、不安ばかりが募る毎日だった。

混乱して弟に出したメールの返信は
「まあ、落ち着いて」だった。
冷静な弟の文章に、自分だけが焦っていた、と反省した。


 
 


あの震災から7年が経った。

今年の2月、中学の合同クラス会があり福島に行った。
会の終わり頃、突然
「そうだ、ここにいる福島の人たちは
全員、震災を経験しているんだ!」
と、思った。
楽しい話ばかりで、それを忘れていた。


次の日、都合でクラス会に不参加だった友人に会った。
(しかも30年ぶりに)
観光しながら、ふと思い出して口に出してみた。

「きのうね、ここにいる福島の人たちは
震災を経験してるんだ、とハッとしたの。
震災からしばらく、私は東京で毎日泣いていて・・・」

「え?どうして?」

と、友人は不思議そうに聞き返した。
 

私は狼狽した。
必死で普段の調子で言った。

「うん、両親が不自由な生活をしているのに
 何もできなくて。
 そして、原発事故でしょう。」


そうなのだ。
実際に住んでもいない
東京で支障のない生活をしている私が
何も行動しないまま、ただ泣いていた、ということを
震災のど真ん中で生活していた人に言うなど
不遜なこと以外の何物でもない。

頭の良い友人は
「あれからもう、随分時間が経ったから。」

と、静かに言って話を切り替えた。

私はこのことを、しばらく忘れないだろう。




震災から7年目の今日
思っているだけでは伝わらない、と思ったので
いつもの私のブログの雰囲気とは違うことを
書いてみた。
 
 
このまま終わるのも何なので
もうひとつ、合同クラス会でのことを。
 
乾杯の音頭は、現在、県の教育長
同じクラスだったS君が指名された。

乾杯の前のスピーチに、慣れてるなあと感心し
別にここでそんな長く話をしなくても、と聞いていた。
話の締めくくりに
「今、福島では東電に就職したい、という子が出てきている。
 就職して、自分の手で今の状態をなんとかしよう、と思っている。
 東電を恨むばかりではなく、少しずつ考えが変わってきている。」

持っていた杯が少しぼやけて見え
その後に続いた言葉は忘れてしまった。
そこが肝心なのに。

クラス委員長だったじゅんぺい
ありがとう、おしえてくれて。
アンタが教育長で良かった、と
意味なく思ったよ。


 
 
2018年3月11日
思いの記録として。
 
 
年が明け、うかうかとしているうちに
冬ごもりの虫たちが外に出てくる候になってしまった。



この冬は何をしていたのかというと
相変わらずのスキー。


スキー場に行く途中ではこんな方々と遭遇。



スマホを向けるとさーっと走って去っていってしまう。
これは貴重な写真だ。

普通のカメラではこうは撮れない。
スマホさまさま、だ。


おまけのように、5年ぶりの御神渡りを見た。

 

湖の氷の山脈は3筋できないと、御神渡りとして認定できないらしい。





これは南北方向に走る「一之御渡り」(だと思う)



 

割れた氷のせり上がりはこうなっている。





あまりの寒さに写真を撮っただけで早々に車に戻った。

この写真を撮った15分後、涼やかな顔の細い青年が
平安の闇を切り裂く鬼気迫る演技で
オリンピックの金メダルを獲得した。
 
その演技、SPとFS、メダル授与式を目の当たりにする、という
幸せな体験をした室長(女性)の土産はこれだった。


 

他に、私はメダルに因み金粉入りの(高級)クリームも頂戴した。
 


その2週間前。
「二之御渡り」付近で撮った諏訪湖に生息する鳥。

 

氷の上に雪がつもっているので
コントラストがくっきりとして写真映えするね。



そして、3月に入り諏訪地方も暖かだった3日



氷は溶け、「春の湖」の様相。



この冬の私の最大のイベントは
2月にあった中学校の合同クラス会だった。

卒業して以来、46年ぶりに会う人もいるし
会うのが最後になる人もいるだろうから、と
思い切って参加した。


参加して良かった。
会いたいと思っていた人が鬼籍に入っていたのに心が傷み
(私が)既にこの世にいないのだろう、と思っていた人が
日本を代表する名編集者になっていたのには
驚き、しみじみと嬉しかった。
しかし、隣のクラスだったとはいえ、私の認識はひどすぎる。

彼が編集した本で一番有名なのは
題名を聞いたら、たぶん知らない人はいない、という本だ。
彼の編集した本はあらゆる分野に渡る。
残念ながら私は1冊も持っていない。
たとえ購入したとして、編集者の名前など見ないだろうし
見たとしても、同姓同名、としか思わないだろう。

名編集者になっていたのはもちろん嬉しいのだが
生きていた、ということが私は嬉しかった。


ところで、クラス会に向け、怠けていた顔の手入れを
年末から再開し、化粧品も愛用のプチプラのものではなく
それなりのものをライン使いして、準備した。

ところが、肌は正直で
いつもは漬物とご飯という粗食だったのに
急に毎日フルコースになった、という手入れにびっくりして
顔じゅうにブツブツができたのには焦った。

化粧水も美容液も大量に使えばいい、と思っていたのは
間違っていた、ということがわかった。
化粧水は量さえ使えば乾燥しない、ということもなく
かえって乾燥するようだ(経験すみ)
結局、その時に揃えた化粧品との相性はあまりよくなかった。

2ヶ月半の顔の手入れの総括として
「一番効くのはリンパマッサージ」という結論を出した。
もちろん、セルフマッサージだ。
使うのは、どこのドラッグストアでも売っているドイツ製クナイプの
ローズオイル、500円が最適。



先週は昨年末からラム酒に漬けていたドライフルーツで
フルーツケーキを4本焼いた。
月曜日は従姉が作ったセミドライのいちじくと胡桃で
焼いた。

気温によってバターや粉、卵を混ぜる感覚がまったく違い
こんなに違うのか、とびっくりした。



冬は去りつつある。
昨年末に植えたチューリップの球根からも
葉が出て、丈を伸ばしている。
自慢の白い沈丁花も咲きだした。

多摩川の桜が咲くまで、あともう少しだ。
楽しみに待っている。

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