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この前の日曜日、昼間は真夏のような白っぽい日差しで
なかなかに暑かった。
なので、もちろん家中の窓を全開にして扇風機を回していた。
家の裏は畑なので、風が通るとかなり涼しい。
せっかく涼しいのに、わざわざ日差しが照りつける窓際に約1匹。
ただ寝てるワケでもなさそうだ。
ちょっと失礼してカーテンをめくってみた。
なんだ、毛づくろい中なのか。
ウチの♀猫は比較的マメに毛づくろいをする。
アメショ系のチャーは毛づくろいをほとんどしない。
昼間、猫の写真を撮ると瞳が線になっていて、いつも失敗した、と思う。
特にこの猫の場合はコワイ。
わっ、フレー面!
(フレーメンのことね)
撮るんじゃなかった。 夜見たらうなされそうだわ。
ただ、このフレー面は、憑き物が落ちたようにすぐに元に戻る。
まったく、あのコワイ顔で固まってしまったらどうしよう、と
真剣に心配することがある。
さすがに暑かったらしく、すぐに窓際を離れて涼んでいたが
毛皮を触ってみたら・・・熱かった。
太陽光発電みたいに、この熱を貯めておいて
冬に使うことができたらいいのに。
朝晩、めっきり涼しくなった。
9月だから、もう秋と言っても差し支えないが
普通、東京でこの時季はまだ夏だ。
だけど、ウチの一部の猫を見ると、やはり秋なのか、と
思ってしまう。
既にフリースを敷いてあるペットベッド寝ている。
とても満足そう。
このベッドの中にはおもちゃもたくさん入っているので
独り占めした気分になるのだろうか。
(夫が掃除をするのに、そこらへんに転がっているものを
なんでもここに放り込んだ結果、こうなった。)
いや、それでも、まだフリースを使う季節にはなっていない!
その証拠に、ホラ。
アイスノンタイプのクールマットの上で
ご機嫌で毛づくろいをする猫もいる。
この猫はクールマットが大好き。
ほーら、言われちゃった。
チャー、わかった、わかった。
誰もそのベッドは取らないってば。
うちの猫の箱乗り具合だが
実はこうなっている。
ちょっとカメラを移動してみましょう。
まあまあ、いいじゃないの。
「知らないわよー」
後ろに回ると、普通にテーブルの上で香箱を作っているように
見えるが・・・
少しでもすんなり見える写真を選んだのは、飼い主の愛情だ。
でも、良く見ると
箱の上にきちんと乗っているのがわかる。
女子とは思えない逞しい後ろ姿だわ。
あ、あ・・・いえいえ、何でもなくてよ。
ついでなので、シッポも
私は「長くも短くもない、ちょうど良い長さのシッポ!」と
見るたびに感心するのだが、他人はそうは思わないらしい。
「このシッポ、切ったんじゃないよね?」なんて、冗談を言われるたびに
私はちょっとムッとする。
こんな美しい尻尾に対して、何という失礼なモノ言いだろう。
この季節になると、猫飼いのお宅なら大概の家で
家のあちこち猫がぽとぽと落ちている、という状態が
見られると思う。
まあ、あちこちに落ちている、というのはウチのような
多頭飼いでないと見られないが。
このところ、ようやく暑くなってきたので
夜になると、網戸だけにして窓を開け、自然の風で
人間は涼んでいる。
人間の近くになんとなく存在していたい猫、は
こんな感じ。
この猫はテーブルの上が好き。
落ちそうだろうが、何だろうが、端っこにいる。
まあ、テーブルの上に猫を乗せていいのか、とも言われるが
どうせ人間の留守中には乗っていると思うので、寝るくらいは
何も言わない。
窓には外にいる何かを目を剥いて凝視する猫がいて
なにやら、枕にしていた手を伸ばしてみたりする猫がいて
2匹の距離はこんな感じ。
窓で外を見ていた猫が飽きて、自分の手を枕に眠り始める。
テーブルの上の猫も自分の手を枕にうとうと・・・。
シーバをもらっている夢でも見ているのか、口元がにんまり。
さて、こういう時に絶対に同じフレームに入り込まない猫が1匹。
昨夜は、なんとか1つのフレームに納まった。
実はこの後、東京地方に震度4の地震があった。
ウチは家具と呼べるものがテーブルしかないので
家具を押える必要がないと判断した私は、猫の様子を観察していたが
全員がイカ耳になって、伏せの体勢で瞳孔を開いていた。
揺れが治まったら、全員が何事もなかったかのように
再び眠ってしまった。
そんな夏の夜だった。
蜜豆の赤豌豆を猫と分け 椿
お彼岸、お盆意外にも、時々猫のお墓参りに行く。
まあ、これは夫から声がかかるワケだが。
何かと気にしているのだろう。 とりあえず結構なことだ。
府中にある慈恵院というほぼ動物専門(?)のようになっているお寺に
ウチの歴代の(といっても3匹だが)猫はいる。
宗教がちょっと違うが、猫を入れてくれる墓地がないのでしょうがない。
欧米ではあるのだろうか?
と、そういうことではなくて。
ウチの猫たちは「合祀」になっていて、墓地の一番奥に墓石がある。
そこにたどり着くまでに、もちろんたくさんの墓石があり
それを眺めながら歩く。
盲導犬協会の盲導犬のもの、ウサギのレリーフのもの
猫がボールを持ったオブジェ。
「愛しきものここに眠る」と彫られているもの。
その中で、いつもハッとするものがある。
「共に歩いた喜び」 という墓碑銘だ。
「共に歩く」という言葉は、たぶん犬のものなのだろう。
犬と生活していた人たちにとって、毎日一緒に散歩をし、それによって
得た楽しさ、出会い、まさにそれは犬が与えてくれた喜びだ。
なんと愛された犬だったのだろう、と墓碑銘を見るたびに思う。
しかし、猫と生活している私にとってもそれは同じだ。
私に幸せな時間を与えて、去っていった猫たち。
私は彼女たちのために立派な墓石を立ててやることはできないが
猫たちと過ごしたかけがえのない時は、私の中で生きている。
それこそが彼女たちへの墓碑銘。 共に生きた証だ。
「いつも傍にいるよ」
私もいつかは一緒に暮らした猫たちと、かの国へ行くのだが
それまで、ウチの猫たちには、こちらでのんびりと過ごしてもらいたいと
思っている。
そして、まあ、役に立つことは何ひとつしなくていいから
長生きだけはしてもらいたい。
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女主人になることを夢見つつ
4匹の猫と暮らす。
(いつの間にか5匹に)