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夏の仕度をするには
ほんの少しばかり早い、と思ったが
日曜日の昨日があまりにも良い天気だったため
急遽、カーペットやカーテンを夏のものに換えた。
まず、私の部屋のカーペットをたたんで洗濯機に放り込む。
掃除機をガーガーかけた後、ロフトから夏用ラグを下ろし敷く。
今までかけていたカーテンもモンステラ柄のに換え
カーペットの洗濯が終わった後の洗濯機に放り込む。
気温も高く、せっかくメラミン雑巾も手にしたことだし、と
寝室、私の部屋、洗面所の壁などを拭いていく。
夫も部屋のラグを換えたい、と言い出したが
そういえば、夫の部屋のラグは秋に捨てたのだった。
と、洗濯が終わったレースのカーテンを取り出すと
なんということ、真ん中から破れている!
よく考えたら、猫の爪の痕もあったし
作って10年も経ったし、ここは一丁、新しくするか!と
夫と話し合う。
今は午前10時少し過ぎ。
まず、駅前に自転車を走らせ
スーパーの3階にあるアイランド・ヴィレッジで
30%引きのラグを買う。
すぐさま家に戻り、車でカーテンのオーダーに向かう。
この際だから、寝室の陽に焼けたカーテンも掛け替えよう。
さすがに、レースタイプは10年前より値上がりしているが
それは、もう目を瞑ることにする。
午後からは夫に自分の部屋を掃除させ
いらない本やパンフレットを捨てさせる。
新しいラグを敷き、夫の部屋の夏仕度も終了。
夕方、夏のような日差しですっかり乾いた冬用のカーペットと
カーテンをロフトに上げる。
で、私の部屋のレースカーテンだが
以前にメーカーミスで寸足らずに出来上がってきたものを
ひっぱり出してきて凌ぐことにした。
新しいカーテンができるまでの間はこれで充分。
ニンゲンの騒ぎをよそに
猫たちは(なぜか)暑い日向を選んで昼寝をしていた。
そして夫からは
「夏に大掃除をすると冬が楽だから
8月に1日休んで大掃除するか!」
という提案があった。
いや、どうせ掃除をするなら
冬用のカーペットやカーテンに交換する9月末か
10月あたりが適当ではないか、というのが私の考えだ。
ほんの少しばかり早い、と思ったが
日曜日の昨日があまりにも良い天気だったため
急遽、カーペットやカーテンを夏のものに換えた。
まず、私の部屋のカーペットをたたんで洗濯機に放り込む。
掃除機をガーガーかけた後、ロフトから夏用ラグを下ろし敷く。
今までかけていたカーテンもモンステラ柄のに換え
カーペットの洗濯が終わった後の洗濯機に放り込む。
気温も高く、せっかくメラミン雑巾も手にしたことだし、と
寝室、私の部屋、洗面所の壁などを拭いていく。
夫も部屋のラグを換えたい、と言い出したが
そういえば、夫の部屋のラグは秋に捨てたのだった。
と、洗濯が終わったレースのカーテンを取り出すと
なんということ、真ん中から破れている!
よく考えたら、猫の爪の痕もあったし
作って10年も経ったし、ここは一丁、新しくするか!と
夫と話し合う。
今は午前10時少し過ぎ。
まず、駅前に自転車を走らせ
スーパーの3階にあるアイランド・ヴィレッジで
30%引きのラグを買う。
すぐさま家に戻り、車でカーテンのオーダーに向かう。
この際だから、寝室の陽に焼けたカーテンも掛け替えよう。
さすがに、レースタイプは10年前より値上がりしているが
それは、もう目を瞑ることにする。
午後からは夫に自分の部屋を掃除させ
いらない本やパンフレットを捨てさせる。
新しいラグを敷き、夫の部屋の夏仕度も終了。
夕方、夏のような日差しですっかり乾いた冬用のカーペットと
カーテンをロフトに上げる。
で、私の部屋のレースカーテンだが
以前にメーカーミスで寸足らずに出来上がってきたものを
ひっぱり出してきて凌ぐことにした。
新しいカーテンができるまでの間はこれで充分。
ニンゲンの騒ぎをよそに
猫たちは(なぜか)暑い日向を選んで昼寝をしていた。
そして夫からは
「夏に大掃除をすると冬が楽だから
8月に1日休んで大掃除するか!」
という提案があった。
いや、どうせ掃除をするなら
冬用のカーペットやカーテンに交換する9月末か
10月あたりが適当ではないか、というのが私の考えだ。
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昨年の2月くらいにもこんな記事を書いたが
日曜の夕方、クローゼットの中の「混沌」(別名「下着ワゴン」)を
久しぶりに片付けた。
片付ける=不要なものを捨てる ということだ。
「混沌」が大好きな風猫に見守られながら
ワゴンの中段の引き出しを取り出す。
中段に主に「普段用」の下着、靴下、スパッツなどが入っている。
中味を全部床にぶちまけたら、見たことがない靴下(忘れているだけ)が
たくさん出てきた。
すこしの動揺とともに、捨てるものと残すものの仕分けを進める。
片方しか無い、と思っていた靴下の片割れが出てきた。
整理してみるもんだねえ。
何年かぶりで相方に会った靴下はもちろん残す。
使用感が出てきた靴下、下着は思い切って捨てる。
残したものをたたんで収納。
まだまだいくらでも入るじゃないの!
ワゴン上段の引き出しは
通勤あるいは外出用の下着、ストッキングが入っている。
しかし、悪い癖で「ちょい入れ」をしていたので
本来ならば中段にあるべき普段用の下着も多く入っている。
これも床に中身をぶちまけて仕分けする。
消耗品のストッキングが大量にあるのは、しょうがない、として
こちらも使用感のでてきた下着、明るすぎる色のストッキングは捨てる。
残したものをたたんで収納したら、ああ、すっきり。
最後に下段の引き出し(は出さないで)を点検する。
ここはハンカチ、扇子、サングラス、マフラーなど雑多なものが入っている。
ここでも今や不要と思われる新品の「バラの花の小銭入れ」を2つ発掘し
先輩に使ってもらうことにする。
そして、小石と乾燥したラベンダーを入れたアイ・ピロウを発見。
おお、これこれ。 目にしないので存在も忘れていたけれど
これはなかなか優れものなので早速また使うことにする。
あまり使っていないタオルハンカチは、キッチンあるいは
ドレッサーの小さい鏡の下に敷くことにして残す。
服の付属物、リボンや共布のベルトはビニールの袋にまとめる。
何かに使うために買っておいたグログランのリボンも一袋にする。
「混沌」が混沌でなくなった時には
待ちくたびれたらしい風猫はどこかに行ってしまっていた。
私のように「片付けのできない」人間は
半年に1度くらい、こうしてワゴンの中を整理しないとダメだな、と反省したが
次に混沌を整理するのは、きっと来年になることだろう。
でも、ホラ、女の最前線基地はカオスなものなのだから。
日曜の夕方、クローゼットの中の「混沌」(別名「下着ワゴン」)を
久しぶりに片付けた。
片付ける=不要なものを捨てる ということだ。
「混沌」が大好きな風猫に見守られながら
ワゴンの中段の引き出しを取り出す。
中段に主に「普段用」の下着、靴下、スパッツなどが入っている。
中味を全部床にぶちまけたら、見たことがない靴下(忘れているだけ)が
たくさん出てきた。
すこしの動揺とともに、捨てるものと残すものの仕分けを進める。
片方しか無い、と思っていた靴下の片割れが出てきた。
整理してみるもんだねえ。
何年かぶりで相方に会った靴下はもちろん残す。
使用感が出てきた靴下、下着は思い切って捨てる。
残したものをたたんで収納。
まだまだいくらでも入るじゃないの!
ワゴン上段の引き出しは
通勤あるいは外出用の下着、ストッキングが入っている。
しかし、悪い癖で「ちょい入れ」をしていたので
本来ならば中段にあるべき普段用の下着も多く入っている。
これも床に中身をぶちまけて仕分けする。
消耗品のストッキングが大量にあるのは、しょうがない、として
こちらも使用感のでてきた下着、明るすぎる色のストッキングは捨てる。
残したものをたたんで収納したら、ああ、すっきり。
最後に下段の引き出し(は出さないで)を点検する。
ここはハンカチ、扇子、サングラス、マフラーなど雑多なものが入っている。
ここでも今や不要と思われる新品の「バラの花の小銭入れ」を2つ発掘し
先輩に使ってもらうことにする。
そして、小石と乾燥したラベンダーを入れたアイ・ピロウを発見。
おお、これこれ。 目にしないので存在も忘れていたけれど
これはなかなか優れものなので早速また使うことにする。
あまり使っていないタオルハンカチは、キッチンあるいは
ドレッサーの小さい鏡の下に敷くことにして残す。
服の付属物、リボンや共布のベルトはビニールの袋にまとめる。
何かに使うために買っておいたグログランのリボンも一袋にする。
「混沌」が混沌でなくなった時には
待ちくたびれたらしい風猫はどこかに行ってしまっていた。
私のように「片付けのできない」人間は
半年に1度くらい、こうしてワゴンの中を整理しないとダメだな、と反省したが
次に混沌を整理するのは、きっと来年になることだろう。
でも、ホラ、女の最前線基地はカオスなものなのだから。
いつか、この本についての記事を書こうと思っていた。
作者の長田弘さんが亡くなったことがきっかけ、というのが
あまりにも残念だ。
この「ねこに未来はない。」というものがたりは
池坊の雑誌である「新婦人」に1968年から1969年まで
連載されたものだ。
当時、母の実家に遊びに行き
叔母が買っていた新婦人を読むのが楽しみだった。
今にして思えばスバラシく読み応えのある雑誌だった。
そして、単行本として出版されたときに
取り寄せたのだと思う。
本文イラストは長新太さん。
帯の文はなんと、辻邦生氏。
どうやら、私が高校生の時に買ったようだ。
難しい言葉を一切使わず、ありふれた日常的な言葉で
水滴が光に反射した時のきらめきのような文章と詩を紡ぐ人だった。
長田弘さんは、実は私の小学校と中学校の先輩だ。
さらに、弟にとっては高校の先輩にもあたる。
弟の高校の創立何周年かに、この詩人が記念講演をしたのだが
話はあまり面白くなかったらしい。
弟がそう言っていた。
まあ、男子高校生の中で詩に興味がある子など
ほんのわずか、だろうから、それは普通の感想だろう。
軽妙なイラストとは違い
ちょっとした悲しみが残り、ちいさな希望も抱ける作品だ。
児童文学などでは決してない、と思う。
「もう、ねこのものがたりを書くことはないでしょう」
という文章のある「あとがき」まで素敵なのだ。
そして、このものがたりの明るさは
「ぼく」が結婚していっとう最初の朝の食事の前に
新品の奥さんが、ほんとうにうれしそうな声で
「ねえ、わたしたち、なによりもまず
ねこを飼いましょうね」
と言い
ものがたりのおしまいに
「子どもが生まれて1年経ったら、またねこを飼いましょうね。
三人で飼えば、文殊の知恵で
きっといまよりうまく飼えるようになるとおもうわ」
という奥さんの存在なのだ。
思えば「マーマレード・ジムの冒険」を翻訳したのも長田さんだ。
ウチにマーマレード・ジムと同じ毛色のねこが来たのも
何かの縁なのだろう。
長田弘さんが書いたように
この世界はうつくしい、と、いつも、私も思っている。
作者の長田弘さんが亡くなったことがきっかけ、というのが
あまりにも残念だ。
この「ねこに未来はない。」というものがたりは
池坊の雑誌である「新婦人」に1968年から1969年まで
連載されたものだ。
当時、母の実家に遊びに行き
叔母が買っていた新婦人を読むのが楽しみだった。
今にして思えばスバラシく読み応えのある雑誌だった。
そして、単行本として出版されたときに
取り寄せたのだと思う。
本文イラストは長新太さん。
帯の文はなんと、辻邦生氏。
どうやら、私が高校生の時に買ったようだ。
難しい言葉を一切使わず、ありふれた日常的な言葉で
水滴が光に反射した時のきらめきのような文章と詩を紡ぐ人だった。
長田弘さんは、実は私の小学校と中学校の先輩だ。
さらに、弟にとっては高校の先輩にもあたる。
弟の高校の創立何周年かに、この詩人が記念講演をしたのだが
話はあまり面白くなかったらしい。
弟がそう言っていた。
まあ、男子高校生の中で詩に興味がある子など
ほんのわずか、だろうから、それは普通の感想だろう。
軽妙なイラストとは違い
ちょっとした悲しみが残り、ちいさな希望も抱ける作品だ。
児童文学などでは決してない、と思う。
「もう、ねこのものがたりを書くことはないでしょう」
という文章のある「あとがき」まで素敵なのだ。
そして、このものがたりの明るさは
「ぼく」が結婚していっとう最初の朝の食事の前に
新品の奥さんが、ほんとうにうれしそうな声で
「ねえ、わたしたち、なによりもまず
ねこを飼いましょうね」
と言い
ものがたりのおしまいに
「子どもが生まれて1年経ったら、またねこを飼いましょうね。
三人で飼えば、文殊の知恵で
きっといまよりうまく飼えるようになるとおもうわ」
という奥さんの存在なのだ。
思えば「マーマレード・ジムの冒険」を翻訳したのも長田さんだ。
ウチにマーマレード・ジムと同じ毛色のねこが来たのも
何かの縁なのだろう。
長田弘さんが書いたように
この世界はうつくしい、と、いつも、私も思っている。
東京、神奈川あたりで生まれて育った人に
東北の春の感覚というものを
理解してもらうのは難しいだろう。
私がふぐすまにいた頃は
ちょうど今ごろ、4月の中旬が
桜の季節だった。
でも、実は桜だけではなく
杏も桃も、実はこの頃に
いっせいに満開になる。
そして、沈丁花までもが
あの甘い刺激的な香りを漂わせるのだ。
想像しただけで、空気までもが薄紅色に染まり
もわーんとしているのがお解りになると思う。
陽春という言葉がぴったりの、ぼうっとした日は
学校から帰ってきて、夕飯の手伝いまでの間
窓を開けて、ひとりで部屋の中にいるのが好きだった。
根雪が溶けて1、2週間で桜、桃、杏の競艶。
それにチューリップ、水仙。
華やかで、甘やかで、心が浮き立つような。
春とは、そういう季節だった。
これは梨の花
桜が終わるとライラックが咲く。
弟が結婚式をあげたあの教会に
昔は白いライラックの木があった。
神父さまが
「特別にカオリさんに1枝あげましょう。」と
自ら折って、中学生だった私に下さったことがある。
神父さまはフランス系カナダ人だったので
ライラック、ではなく”リラ”と発音なさった。
明るく優しかった神父さまは
休暇でカナダに帰国中、帰天された。
もう20年以上も前のことになるだろうか。
これも梨の花
実は私が今の家に白いライラックを植えたのは
一枝のライラックが忘れられないからだ。
あの時、神父さまがくださったリラは
一重のすっきりした花だった。
間違って八重のリラを買ってしまったが
ウチのリラも今、蕾をつけている。
私の思い出を彩る白いリラが咲くのは
もうじきだ。
東北の春の感覚というものを
理解してもらうのは難しいだろう。
私がふぐすまにいた頃は
ちょうど今ごろ、4月の中旬が
桜の季節だった。
でも、実は桜だけではなく
杏も桃も、実はこの頃に
いっせいに満開になる。
そして、沈丁花までもが
あの甘い刺激的な香りを漂わせるのだ。
想像しただけで、空気までもが薄紅色に染まり
もわーんとしているのがお解りになると思う。
陽春という言葉がぴったりの、ぼうっとした日は
学校から帰ってきて、夕飯の手伝いまでの間
窓を開けて、ひとりで部屋の中にいるのが好きだった。
根雪が溶けて1、2週間で桜、桃、杏の競艶。
それにチューリップ、水仙。
華やかで、甘やかで、心が浮き立つような。
春とは、そういう季節だった。
これは梨の花
桜が終わるとライラックが咲く。
弟が結婚式をあげたあの教会に
昔は白いライラックの木があった。
神父さまが
「特別にカオリさんに1枝あげましょう。」と
自ら折って、中学生だった私に下さったことがある。
神父さまはフランス系カナダ人だったので
ライラック、ではなく”リラ”と発音なさった。
明るく優しかった神父さまは
休暇でカナダに帰国中、帰天された。
もう20年以上も前のことになるだろうか。
これも梨の花
実は私が今の家に白いライラックを植えたのは
一枝のライラックが忘れられないからだ。
あの時、神父さまがくださったリラは
一重のすっきりした花だった。
間違って八重のリラを買ってしまったが
ウチのリラも今、蕾をつけている。
私の思い出を彩る白いリラが咲くのは
もうじきだ。
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私のこと
HN:
椿
性別:
女性
趣味:
読書など
自己紹介:
老後はミモザ館(やかた)の
女主人になることを夢見つつ
4匹の猫と暮らす。
(いつの間にか5匹に)
女主人になることを夢見つつ
4匹の猫と暮らす。
(いつの間にか5匹に)
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